映画音楽では作品の世界観に応じて、世界各地の民族の音楽要素を取り入れることがよく行われます。中世ヨーロッパ的な世界で剣と魔法で戦い活躍する英雄伝=ハイ・ファンタジー(high fantasy)作品には中世ヨーロッパの古楽、ほかにも北欧系やケルト系を始めとしたヨーロッパ各地の民族の音楽が定番です。
日本のファンタジーRPG作品では北欧系や、とりわけケルト系の音楽の人気に目を見張るものがあります。今回はケルト音楽や北欧音楽好きの有名なゲーム音楽作曲家による曲とエピソードについて、植松伸夫さん・光田康典さん・なるけみちこさんの3人を取り上げました。
また、そもそもハイファンタジー作品になぜ北欧やケルトが関わるのか?を作品の源流を辿って明らかにしていきます。こうした文化を海外から受容した日本では不思議とケルト音楽に人気が集まる傾向にあるのですが、その理由についてもケルト音楽と北欧音楽の違いに着目して考察します。
目次
北欧音楽について
北欧音楽(Nordic Music)とは北欧諸国の音楽のことで、主にスウェーデン、ノルウェー(およびフェロー諸島)、デンマーク、アイスランド、フィンランド(およびオーランド諸島)が含まれます。北欧という字だけを見れば単にヨーロッパの北という意味にもとれそうですが、もう少し狭く特定の意味で使われる言葉です。一般に北欧はノルディック(Nordic)の訳語として使われます。冬のオリンピック種目ノルディック・スキーなどでお馴染みの言葉です。
この地域は共通のノルド祖語から分かれた言語を共有していて、その多くをノルド系=北ゲルマン系の民族が占めています※1。文化や宗教を始めとして共通点が多くあり、大戦後には地域間の協力を進めるために北欧理事会が設立されるなど、強い結び付きのある地域です。このことは国旗に共通するノルディック・クロスと呼ばれる十字の形にも表れています。
組曲ペール・ギュントの「朝」に代表されるノルウェーの作曲家、エドヴァルド・グリーグはこの地域の民族的な伝統音楽の要素を取り入れることにも力を入れていました。また、フィンランドの伝統曲に合わせて近年新しく作詞された歌、イエヴァン・ポルッカ(Ievan polkka)はボーカロイドの初音ミクによってアニメーション付きでカバーされたことをきっかけに、ここ日本で急速に知られるようになりました。
ケルト音楽について
ケルト音楽(Celtic Music)とはケルト諸国の音楽のことで、主にスコットランド、アイルランド、マン島、ウェールズ、コーンウォール、ブルターニュ、ガリシアが含まれます。北欧音楽=ノルディック・ミュージックが主にノルド系の民族の音楽であったのに対して、こちらはケルト系の民族の音楽です。この地域には共通のケルト祖語から分かれた言語が残り※2、近隣のゲルマン系やラテン系の民族とは異なるケルト系の言語文化を共有しています。
一方で英語やフランス語といった大国の言語に圧迫されて、ケルト系言語は消滅の危機に瀕するようになりました。ケルト系の少数言語と音楽を含む伝統文化を守るために「国際ケルティックフェスティバル」が開かれるなどケルト諸国のあいだで協力が進んでいます。こうした取り組みの結果、ケルト音楽は世界的にも知られるようになりました。
日本で最も知られている例が、唱歌「蛍の光」にアレンジされたスコットランド民謡のオールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)です。明治時代に欧米各地から輸入された民謡の中にはケルト諸国の歌も含まれていました。他にはダニー・ボーイ(Danny Boy)として知られる北アイルランドの民謡も有名です。
植松伸夫さん (1):『ファイナルファンタジーIV ケルティック・ムーン』
『ファイナルファンタジー』シリーズの音楽を手掛たことで知らている作曲家の植松伸夫さんは、1991年に作中BGMのアレンジアルバム、『ファイナルファンタジー IV ケルティック・ムーン』をリリースしています。特にアイルランド伝統音楽に憧れていたということもあり、全曲をアイルランドまで行って録音するという力の入れようです。
アルバムの10曲目「Giotto, the Great King(キング・ジォットの城)」です。前半は原曲通りのお城のテーマ曲ですが途中から華やかな曲調に変わり、2拍子ですが1拍が3分割(または2:1の2分割)のジグ(Jig)と呼ばれるリズムの曲になります。
スコットランドを中心とした地域ではリズムの異なる曲をメドレーのように繋げて演奏するセット(set)と呼ばれる形式が好まれていて、アルバムの他の曲も多くが「原曲寄り→伝統音楽寄り→原曲寄り」というメドレー形式になっています。
『ファイナルファンタジー V』からしばらくケルト系伝統音楽の要素が入った音楽が増えます。本人いわくケルティック・ムーン以降「ドハマリ」しているそうで、ケープブレトン・スコットランド・アイルランドといったケルト系の伝統音楽を得意とするカナダ人音楽家のジム・エディガー(Jim Ediger)さんにバイオリンを習っていたこともあるくらいです※3 [永芳 2015]。この方は後に『ファイナルファンタジー XI』のサウンドトラックに演奏で参加しています。
『ファイナルファンタジー V』の町や村で流れるBGM「ハーヴェスト」です。バグパイプ的な音色や主音がド↔シ♭(レ↔ド)と長2度で上下して一時転調するような旋律型が特徴的な曲です。ゲーム音楽のライブイベントでもたびたびこの曲のアレンジが演奏されています。最近では2017年12月23日放送分のTV番組、題名のない音楽会「ケルト音楽を楽しむ休日」でもこの曲のアレンジが演奏されました。
植松伸夫さん (2):ハマったきっかけは意外と日本っぽい郷愁感
最近ではスマートフォン向けゲーム『グランブルーファンタジー』の一部で、植松さん作曲のケルト系要素のあるBGMを聴くことができます(作品全体の作曲担当は植松伸夫さん・成田勤さんの2人)。なんと植松さんに依頼をした担当者が『FFIV ケルティックムーン』のファンだったそうで、本人いわく「久しぶりに素直に作れた」そうです [グランブルーファンタジー 2014]。
サウンドトラックの中の「常磐の風」はスコットランド起源のアップテンポな4/4拍子:リール(Reel)のリズムの曲になっています。アコーディオンにバイオリン(=フィドル)※4、そしてアイルランドやスコットランドでよく使われる笛のティンホイッスルが主役の明るく爽快な雰囲気の曲です。
こちらの「ポート・ブリーズ群島」は対照的にゆったりとしたテンポの穏やかな曲でオーケストラアレンジも施されていますが、メロディーラインは同じくティンホイッスル・アコーディオン・フィドルのユニゾンで奏でられ、伴奏にはケルト音楽を象徴する楽器の1つハープが使われています。全体としてケルト文化圏に見られる特徴的なメリスマ的・自由リズムのエアー(Air)のような曲調になっています。
植松さんはインタビューで、民族音楽にはまったキッカケは沖縄音楽で、そこから西へ西へとたどるうちに不思議と哀愁感を感じるアイルランドの音楽に行き着いたことを語っています。ケルト系民族の伝統音楽では7音音階のほかに、日本の民謡にも似て5音音階(+経過音)の構造をもつフレーズが多用される特徴があります(※→ 詳しくは8章で)。植松さんに限らず「懐かしい」と感じる人は多く、こうした音階や旋律法の特徴も関係しているようです。
光田康典さん (1):ゼノギアスのアレンジアルバム『CREID』
『クロノ・トリガー』を始めとして数々のゲーム音楽を担当してきた光田康典さんは様々な民族の音楽にアンテナを張り巡らせていて、世界各地の民族音楽をかけ合わせた多国籍・無国籍の音楽を多く作曲しています。インタビューではケルトや北欧以外にもスペイン、ポルトガルのファド、ブルガリアンボイス、バルカン諸国やトルコ、インドネシアのガムラン音楽など、好きな音楽を次から次へと挙げています [Zing! 2017]。
1998年リリースの『ゼノギアス アレンジヴァージョン CREID』を紹介します。制作にあたっては東京とダブリンの2か所で録音が行われました。アルバム名の「creid」はケルト系のアイルランド語・スコットランドゲール語・マン島語で「信じる」を意味する言葉です。
レコーディングにはアイルランドの歌手や演奏家だけでなく、北欧系フィンランドのアコーディオン奏者や日本の尺八奏者も参加するなど、多国籍・無国籍な民族調アレンジになっています。
ラハン村で流れるBGMのアレンジバージョン「LAHAN」です。ティンホイッスルやバグパイプ、アコーディオン、バイオリン、加えてラテン系のパーカッション、日本の尺八にバックコーラスも入って来てとにかく賑やかで楽しいアレンジの曲です。
曲の最後で聞こえてくる喧騒が印象的ですが、これは光田さんがアイルランドのハーコートホテル内のパブで飲んでいた時に実際に録音した音です。この時まだ有名になる前のルナサ(Lúnasa)が演奏していたというビックリな話がラジオ番組で明かされています。
光田康典さん (2):アヌーナ(Anúna)のコーラスへの憧れ
最近では光田康典さんが『ゼノブレイド2』の一部楽曲を担当して、アイルランドを拠点に活動するケルト系コーラスグループのアヌーナ(Anúna)の歌声を取り入れました。世界的に有名となったダンスパフォーマンス『リバーダンス』にも一時コーラス隊として出演するなど、長年活躍を続けてきたグループです。
光田さんはアヌーナの神秘的で荘厳な歌声が『ゼノブレイド2』の世界観に相応しいと考えて依頼を検討してきました。そんな中、偶然にもケルティック能『鷹姫』という能とケルトコーラスの共演企画のためにアヌーナが来日することになり、そのままトントン拍子でアヌーナのレコーディングも決まりました。
アヌーナがコーラスを担当した「Our Eternal Land」、「We Are the Chosen Ones」、「Ever Come to an End」、「Shadow of the Lowlands」の全4曲のうち、ルクスリア王国の街で流れる「Shadow of the Lowlands」を紹介します。こちらは歌声だけでなくアヌーナ本人たちが登場するPVまで付いている超豪華仕様です。
ヨーロッパ各地にはそれぞれ独自の教会音楽が存在していましたが、次第にグレゴリオ聖歌へと統一されていきました。こうした統一の前にアイルランドやイギリス、ブルターニュで歌われていたのがケルト聖歌(Celtic chant)です [Stäblein 1975]。アヌーナはこうした忘れられていた独自の教会音楽の復興に取り組んできたグループです。光田さんは西洋クラシック音楽の声楽やグレゴリア聖歌、ブルガリアンボイスとも違うアヌーナのコーラスに惹かれたそうです。
光田康典さん (3):北欧音楽の楽器ニッケルハルパを買う
光田さんはスウェーデン、ノルウェー、アイスランドといった北欧音楽にも以前から強い興味をもっていました。光田さんが音楽を担当した1999年発売の『クロノ・クロス』の音楽は北欧系伝統音楽の要素をメインに取り入れて作曲されています [Soundmain 2020]。賑やかで活気あふれる港町の「テルミナ」のBGMを紹介します。イントロは4拍子ですが、その後に続く3拍子は北欧スカンディナビア半島で人気の高いポルスカ(Polska)と呼ばれるリズムです。3拍子や長7度音を多用する旋律型も北欧系の伝統音楽のひとつの特徴です。
他にも光田さんの北欧音楽好きエピソードとして、スウェーデンの伝統楽器ニッケルハルパ(Nyckelharpa)を現地の職人に連絡して50万円ほどで購入したことをインタビューで語っています [Zing! 2017]。
バイオリンのようにも見えますが、弦を指で押さえるのではなく木製のキーを押すことで音程が変わります。メロディーを演奏する弦の他に、持続音を出すドローン弦や共鳴弦が張られていて独特の音色を作り出します。
弓の代わりにハンドルを回して擦弦するようになった楽器にハーディー・ガーディー(Hurdy-gurdy)があります。他のヨーロッパ地域ではこのハーディー・ガーディーが中世から近現代にかけて広く使われていました。
2022年、クロノ・クロスのリマスター作品として『クロノ・クロス:ラジカル・ドリーマーズ エディション』が発売されました。少し遡って2019年、北欧音楽バンドのドリーマーズ・サーカス(Dreamers’ Circus)が来日公演を行いました。デンマーク(およびフェロー諸島)とスウェーデン出身者で結成されたトリオです。このタイミングで、リマスター版のための音楽で彼らとコラボするという夢の共演が決まりました。
光田さんは新曲や新規アレンジ曲の候補をあらかじめドリーマーズ・サーカスのメンバーに送って、アレンジも検討してもらっていました。メンバーいわく「“テルミナアナザー”は、〈デンマークのポルスカ?〉と思ったぐらいで、初めて聴いたとは思えず驚きました
」と、BGM「テルミナ アナザー」がそのまま現地の伝統音楽に聞こえてしまうくらい忠実に、北欧音楽のエッセンスが取り入れられていたことを驚きをもって話しています [Mikiki 2022]。
なるけみちこさん (1):きっかけは植松さんの『ケルティック・ムーン』
『ワイルドアームズ』シリーズの音楽の担当や、『大乱闘スマッシュブラザーズX』でアレンジBGM「時のオカリナメドレー」を提供したことでもよく知られている作曲家のなるけみちこさんは、植松さんの『FF IV ケルティック・ムーン』を聴いたことをキッカケにケルト系の伝統音楽にハマりました。『大乱闘スマッシュブラザーズX』制作の打ち上げで植松さんと会った後に、アイリッシュパブに行って音楽談義をして盛り上がったという話があるくらいです [永芳 2015]。
『ノーラと刻の工房 霧の森の魔女』のサウンドトラックから、ワールドマップの画面で流れるBGM「a little visitor」です。ゲームの世界観は北欧をモデルにしていて、フィンランド語をもとにしたアイテムの名前が多くあります。しかし、なるけさんによれば現地の伝統音楽に寄りすぎず、絵の雰囲気やゲームの内容にも合うようにキャッチーな音楽を作るように心がけたとのことです。
実際に曲を聞くと、一般に北欧音楽では使われない5音音階のフレーズが多用されるなど、むしろメロディーにアイルランドやスコットランドの伝統音楽といったケルト音楽の要素が見られる曲になっています。5音音階は日本の民謡の基礎でもあり、ただ単にモデルにした場所の民族の音楽を付けるのではなく、日本でも親しみやすい音楽を付けるという工夫がされています。
なるけみちこさん (2):アトリエシリーズとの関わり
最近では『フィリスのアトリエ ~不思議な旅の錬金術士~』にゲストコンポーザーという形で参加して、ゲーム中で流れるボーカル曲を1曲担当しています。「アトリエ」シリーズの音楽はケルト系以外にもカントリーやラテン、南米のフォルクローレなど様々な地域の音楽が掛け合わさった多国籍な民族調音楽で人気を集めています。なるけさんもこれまでに複数の作品をプレイしてきて、新作情報も必ずチェックするというアトリエシリーズのファンです。
『フィリスのアトリエ ~不思議な旅の錬金術士~』から「嵐を越えて」です。イベントテーマ曲として、船に乗ってこれから広い世界へ旅立つという場面で流れます。作詞・作曲・編曲はなるけみちこさん、ボーカルが霜月はるかさんというタッグの曲です。
アコーディオンやバイオリンに加えて、ギリシャから持ち帰り改造してケルト音楽に取り入れられるようになったブズーキ(オクターブ・マンドリン)のエキゾチックな音が特徴的です。ほぼ同様の楽器がシターンとして北欧音楽にも取り入れられています。
ファンタジーRPGの源流とケルト神話・北欧神話
『ファイナルファンタジー』シリーズにたびたび召喚獣として登場する「オーディン」の名前は、北欧神話(Norse/Nordic mythology)における最高神のオーディン(Óðinn)から来ています。北欧のみならず広くゲルマン系の民族で信仰されていた神で、英語の水曜日Wednesdayは「オーディンの日」の意味です。(フランスやイタリアといったラテン系の民族では守護神メルクリウスの日になります)
また、『グランブルーファンタジー』に登場するキャラクター「スカーサハ」の名前はケルト神話(Celtic mythology)の中で、アイルランドのアルスターサイクルと呼ばれる伝説群に登場するスコットランドの武芸者スカアハ(Scáthach)に由来しています。ギリシア神話やインド神話、メソポタミア神話などと共に北欧神話やケルト神話はハイファンタジー作品の題材になってきました。
『ソニックと暗黒の騎士』はアーサー王伝説をもとにした騎士道物語の世界を旅するストーリーの作品です。メインメニューのBGMとしてウェールズ民謡、とねりこの木立(The Ash Grove)のアレンジが収録されています。
ケルト神話の中でウェールズで記録された『マビノギオン』にはケルト系ブリトン人の英雄であるアーサー王についての伝説も含まれています。古代末期、ゲルマン民族大移動によってブリテン島にも侵入してきた集団に対して勇敢に戦ったとされる伝説的な英雄がアーサー王です。配下の「円卓の騎士」とともにその物語が伝わっています。
ウェールズを中心にスコットランドやコーンウォール、ブルターニュで語り継がれてきたアーサー王伝説ですが、後に様々に脚色されて中世の騎士道文学となります。[永田 2013]
アーサー王についての詳細(外部リンク) ウェールズとケルト?―意外に身近なケルトの国・アーサー王のウェールズ・概観―", Yoshifum! Nagata
こうした各地の神話をハイファンタジー作品やゲームの題材にすることは今に日本で始まったことではなく、ヨーロッパやアメリカでの長い歴史があります。
ビデオゲームが登場して人気が出始める少し前、1974年にアメリカでファンタジー・テーブルトークRPG(TRPG)の『Dungeons & Dragons(ダンジョンズ&ドラゴンズ)』が発売されました。テーブルを囲んで会話しながらルールブックやサイコロを使って進めるというテーブルトークRPGですが、その後のビデオゲームとしてのRPGのさきがけとなりました。
このD&Dの生みの親であるアメリカの作家ゲイリー・ガイギャックス(Gary Gygax)は、ロバート・E・ハワード『英雄コナン』を始めとして様々な剣と魔法の世界のファンタジー小説を読んでいました。中でも一世を風靡したJ・R・R・トールキンの『指輪物語』には大きな影響を受けたと語っています [TheOneRing.net 2007]。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』のケルト音楽・北欧音楽
現代のハイファンタジー作品に決定的な影響を与えたのがイギリスの作家、J. R. R. トールキン(Tolkien)による小説の『The Lord of the Rings(指輪物語)』です。
1954年から55年にかけて3部作が出版された後、再版が繰り返され世界の様々な言語にも翻訳されて親しまれてきました。2001年からは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズとして映画化されてこちらも世界的な大ヒットとなりました。
トールキンはオックスフォード大学で古英語文学を学び始めて、その後も研究を続けて教授職にも就きました。言語学や神話学の研究で成果を上げて、自身で架空の言語や世界を作り上げるという創作活動に活かし、学術レベルの詳細な設定を作り込みました。北欧神話を含むゲルマン系の神話を中心に学び、他にも近隣のケルト神話、フィンランドの叙事詩、ギリシア神話といったヨーロッパ各地の伝承に詳しく、また大きな影響を受けました [Fimi 2007]。
こうした世界観を反映して映画『ロード・オブ・ザ・リング』のBGMにも世界各地の民族音楽要素が散りばめられていますが、作曲家ハワード・ショア(Howard Shore)によるケルト音楽や北欧音楽の要素を取り入れた映画音楽も聞くことができます。小びとのような見た目をもつホビット族のテーマ曲「Concerning Hobbits」にはティンホイッスルやバイオリン、ケルティックハープ、バウロン、アコーディオンといった楽器、そして冒頭の5音音階のフレーズなどいたる所にケルト音楽要素が見られます。
人間族のローハン王国のテーマ曲「The King of the Golden Hall」では北欧音楽の要素が取り入れられています。好戦的なローハン王国を象徴する金管楽器のファンファーレが印象的で、合間に北欧ノルウェーの弦楽器ハーディングフェーレ(Hardingfele)が入ってきます。
ハルダンゲル地方のバイオリンでハルダンゲル・フィドル(Hardanger fiddle)とも呼ばれます。通常のバイオリンの4弦に加えて共鳴弦が張られることで複雑な音色を作ります。今ではバイオリンと同じ形になりましたが、頭部のライオンあるいは竜の彫刻、真珠のように光る指板、他にも様々な彫刻が施された華やかな楽器です。
イギリス・イングランドの作家トールキンがこれほどまでに言語や神話を熱心に研究して小説を書いたのにはある背景があります。
イングランドを建国したのはゲルマン民族大移動により移住してきた人々で、もともとは現在の北欧デンマークのあたりに住んでいました。彼らは移住とともに(古)英語も持ち込みましたが、そのしばらく後にノルマン人に支配されて宮廷では英語ではなくフランス語が話される時代が続きます。このような状況によりイングランド神話は散逸してしまいます。
イングランドに残された古英語文学と、そのルーツが共通する北ゲルマン系の北欧神話を比較することで、失われたイングランド神話を復元できないだろうかという考えがそこにありました。指輪物語に最も影響を与えた要素の1つが古英語で書かれた叙事詩『ベーオウルフ』で、これは英雄ベーオウルフが妖怪や火を吐く竜を退治するという物語です。[川端 2022]
トールキンと古英語文学、北欧神話の関係について(外部リンク) 研究室に行ってみた。信州大学人文学部 バイキング・北欧神話・トールキン 伊藤盡
作曲家が語るケルト音楽の音階の特徴
こうした指輪物語の背景を考えると、イングランドの英雄物語のルーツである北欧神話に合わせて北欧系の伝統音楽を付ける発想がまず浮かびます。イングランドの周囲に住むケルト系の民族の神話も参考にしているためケルト系の伝統音楽を付ける選択肢もあるかもしれません。
作品自体の中世ヨーロッパ的な世界観に忠実に合わせるために中世ヨーロッパの音楽=古楽が最適だと考えることもできます。最近では光田康典さんがアニメ『ダンジョン飯』の劇伴音楽で古楽の様々な楽器や音楽的要素を取り入れた音楽を作曲しています。
実際ハイファンタジー作品にもよって古楽、北欧音楽、ケルト音楽といった様々なパターンで音楽が付けられています。一方ここ日本ではなぜかケルト音楽人気が一段高いようです。光田康典さんはケルト系の伝統音楽の特徴について次のように語っています。
西洋では3度そして3度を2個重ねた5度の音が重要で、3度がドミソのミなら長調、ミ♭なら短調です。他に教会旋法も使われますが、こちらも必ず3度音を含みメジャー系かマイナー系の2タイプに分類できます。ところがケルト系民族の伝統音楽ではメロディーに3度の音がない場合があり、長調・短調でも教会旋法でもない曲が数多く見られます。
これは4度あるいは5度が重要で必ずしも3度が存在する必要がない5音音階の影響によるものです。装飾的な音によって6・7・8音以上の音階に見えることもありますが※5、本質的にペンタトニック構造(5音音階性)をもつことが民族音楽学の研究で明らかになっています。[水里 2020]
このペンタトニック構造はヨーロッパの他の地域ではほぼ見られない例外的で珍しい現象です。古楽・北欧音楽も含めてヨーロッパのほとんどの地域/民族の民謡はダイアトニック構造(7音音階性)に基づいています。
作曲家の植松伸夫さんもこの音楽に熱中した理由に「不思議と懐かしさを感じる」ことを挙げていました。日本の作曲家が古楽や北欧音楽よりも特にケルト音楽に惹かれる傾向にあるのは、他のヨーロッパの音楽とは異なり偶然にも日本の民謡と共通する要素が存在することが作用しているようです。