映画やアニメからゲームにいたるまで、BGMは作品が記憶に残るよう強く印象付ける手段として、またストーリーや心情の描写に関わる演出の手段として今では欠かせないものになっています。一方でそれとは真逆の、何か特定の雰囲気や心情を意図的に表現しないようにした影の薄いBGMもまた必要とされます。
最近のリアリティーを重視した作品でよく見かける環境音を引き立たせるための、このアンビエント音楽にも似た性質のBGMについて、アニメ映画『言の葉の庭』やゲーム『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』を例に詳しく見ていきたいと思います。
また、こうした最近のBGMの流行スタイルを映画音楽の歴史を簡単に振り返りながら捉え直すことで、「環境BGMの使い所」や「映像と音楽のバランス」についても考えてみます。
目次
1. 初期の映画音楽の歴史とBGMの役割
1-1. サイレント映画時代
音を映像に同期させて再生する技術がまだ存在しなかった最初期の映画は、音声トラックのないサイレント映画 (Silent film) でした。代わりにその場で弁士がナレーションを付けたり、楽士が独自に音楽を演奏したり効果音を鳴らしたりしていました。
音楽には演出のほかに実用的な面でも大きな役割がありました。ひとつは緊張感を与える無音状態を音楽で和らげる役割です。騒音はストレスに繋がりますが、無音もストレスを感じさせ次第に注意力や思考力の低下をもたらすことが、心理学における「感覚遮断」研究で明らかになっています。
特に劇場の暗く閉じられた空間では、音が聞こえることによる安心感には非常に大きいものがありました。この効果を逆手に取ってわざと無音にして緊張感や恐怖感を煽るのがホラー映画です。音楽が流れない状況では小さな物音ひとつでも気になり「幽霊がいるのでは?」という疑心暗鬼が生まれ増幅されます。
ほかには周囲の気になってしまう物音や雑音を音楽で覆い隠す役割もありました。当時はまだ動作音が大きかったプロジェクターの雑音への対策にもなりました [Kalinak 2001]。音楽を付けることで観ている人の気が散らないようにするというのは、映画に限らずカフェやテーマパークなど様々な場面で応用されています。
1-2. トーキー映画時代
音声トラックを付けることが可能になった映画はトーキング・ピクチャー、縮めてトーキー(Talkie)と呼ばれました。サイレント映画では劇場によって付けられるナレーションも音楽もバラバラでしたが、全国どの劇場でも同じ声、同じ音楽が再生されるようになり「オリジナル・サウンドトラック」が生まれます。
撮影と同時に録音することは一般的になり、この新しい技術を追求して映像そのままのリアルな音を目指す映画が生まれた一方で、従来のオペラや劇作品のように全編に渡って音楽を付ける映画とに分かれました。
リアルな音を目指す映画では、現実世界なら鳴っていないはずのBGMはオープニングやクライマックスを除いて避けられる傾向にありました。それでも音楽が不要とされることはなく、映像の中にコンサートやダンスパーティーのシーンを用意したり、歌手や楽器奏者、ラジオを登場させることで物語の世界から音楽が聞こえてくるという演出もよく行われました。[Chion 1985]
この両者の流れがどうなったか、結論から言うとリアルな音を目指す試みの方が大きな壁に阻まれてしまいました。カメラのすぐ横にマイクを置けば映像そのままのリアルな音が録れるはずなのですが、ここに大きな落とし穴がありました。
2. ハリウッド黄金期以降の映画音楽
2-1. リアルの再現とリアルな感覚の違い
映像そのままのリアルな音が上手く行かなかった要因について、フランスの作曲家・映画理論家のミシェル・シオン(Michel Chion)は次のように述べています。「スクリーンの枠」という舞台の制約と、異なるカメラ視点の映像を繋ぎ合わせてストーリーを作る映像作品の基礎「モンタージュ」、この2つの映画の約束事とリアリズム的サウンドが矛盾するのです。
スクリーンがあることで逆にその外には想像の余地が広がっていて、スピーカーが正面にあっても脳内で音の方向や距離について補正がかります。また、シーンの途中で視点や距離が異なるカメラに切り替わっても、セリフや効果音の鳴る位置・音量はそのままというのもよくあることです。
もし過度にリアルな配置をすると、音がスピーカーの位置に具体化されて想像の中で広がっていた空間が偏狭なものになったり、カメラ視点の切り替わりで音の存在に矛盾が生じてかえって不自然に感じることがあり得ます。逆にセリフや効果音、音楽が連続的に聞こえることで、異なるカメラ視点の映像をひとつのシーンにまとめ上げることができます。
2-2. ハリウッド黄金期の映画とBGMの役割
リアルそのままの音では上手く行かないことが分かると、聴感上で自然に聞こえることを基準にしたり、映像と音の関係で起こる錯覚のような効果を利用した演出が追求されるようになりました。トーキー映画で避けられる場合もあったBGMも、これまでサイレント映画やオペラで行われてきたように普通に使われるようになりました。この流れを決めたのがマックス・スタイナーです。
1930年代、作曲家のマックス・スタイナー(Max Steiner)は本来は音楽が鳴っていないはずのシーンも含めて、映画全体に渡って音楽を作曲して成功を収め、その後の映画音楽に決定的な影響を与えました [MacDonald 1998]。ちょうどハリウッド黄金期と呼ばれる時代の出来事です。
特に1933年公開の映画『キング・コング(King Kong)』の音楽はライトモチーフを効果的に用いたことで知られています。ライトモチーフ(Leitmotif)とは、短い音楽フレーズをキャラクターやイベントと結び付け、またアレンジをすることでそこで起こる変化を暗示する手法です。
19世紀頃リヒャルト・ワーグナーがオペラの音楽に導入した技法でした。ただ単に悲しいシーンに悲しい音楽を付けるような発想を超えて、映像を印象付けたりストーリーの進行や登場人物の心情を音楽で暗示したりと、作品に深みを与える演出の1手段として欠かせないものとなったのは彼の功績の1つです。
3. 環境音楽の利用
3-1. アンビエント・ミュージックとは?
環境音楽とも訳されるアンビエント・ミュージック(Ambient music)は1970年代に作曲家のブライアン・イーノ(Brian Eno)が提唱した音楽です。小節の区切りや拍といったリズムが曖昧で、加えてメロディーやハーモニー(コード進行)もはっきりしないのが特徴です。当時普及し始めていたシンセサイザーによる楽器音や電子音をメインに使ったブライアン・イーノの音楽は、その後のニューエイジ・ミュージックといったジャンルにも大きな影響を与えています。
1978年のアルバム『Ambient 1: Music for Airports』の1曲目「1/1」です。イーノが初めて「アンビエント・ミュージック」という名前を付けて制作したのがこのアルバムです。イーノはこのアルバムのライナーノーツでアンビエント音楽について次のように語っています。
彼の言葉によればアンビエント音楽は聴き方をひとつに強制するものではなく、意識せずに聞き流すこともでき、かつ注意を向けて聴けば面白いものでないといけないとのことです。また、アンビエント音楽を流すことによって落ち着きを取り戻すことを促したり、深く考えるための余白を作ることも目的としていたようです [Eno 1978]。
エリック・サティの「家具の音楽」
ブライアン・イーノのアンビエント音楽に似た特徴や思想をもつ音楽は以前からもあり、特にエリック・サティの家具の音楽(musique d’ameublement)が挙げられることがよくあります。家具のように周囲の環境に溶け込んで音楽に対して意識を向けることを強要せず、また気まずい沈黙や気になる生活音を音楽によって和らげて、会話が弾むようにという意図をもって作られました。
3-2. アニメ映画『言の葉の庭』を例に
一般に映画では静かで曖昧な雰囲気のアンビエント(環境)音楽のようなBGMが多く、ドラマやアニメでは個性のあるハッキリしたBGMが多くなります。いくつか要因が考えられますが、まず静かで集中できる映画館と様々な音が飛び交う自宅のテレビという視聴環境の違いがあります。1~2時間の長さで深く考えさせるテーマのある映画と、30分ほどで起承転結が一周するドラマやアニメというのも大きく異なる点です。
社会問題など簡単に答えが出ない複雑なテーマを扱う作品には明るくも暗くもない曖昧な雰囲気のBGMが必要とされます。一方でアニメは絵それ自体がデフォルメされた表現によって成り立つ作品なので、デフォルメされた個性的なBGMが合いやすいというおおまかな傾向があります。[高野 2016.2]
一方で、最近のアニメ作品の中には細部まで丁寧に描き込まれたものも見られるようになりました。そうした作品では自然と映像に付けられる効果音・環境音も多くなるため、場合によっては効果音・環境音を邪魔しないように空気感を補う音楽が付けられることがあります。
新海誠監督による『言の葉の庭』(2013) ではBGMが主体になるシーンとは別に、自然の音や生活音などの環境音が主体になることで映像のリアルさ・美しさを強調するようなシーンが出てきます。とりわけ「雨」はこの作品の重要なテーマのひとつにもなっていて、こうした場面のBGMにはピアノだけを使ったシンプルな構成のものが多く、繊細な環境音をかき消さない工夫がされています。[高野 2016.6]
3-3. ゲーム「ゼルダの伝説 BotW」を例に
ゲームの場合、映像の切り替わりやBGMのタイミングはプレイヤーの操作次第で、これは映像作品と大きく異なる部分です。特に最近の流行である広大な世界を自由に探索する「オープンワールド」型ゲームでは、ストーリーの進行順さえも人によってバラバラになります。序盤に訪れるステージは明るく、終盤ステージはシリアスなBGM…のようなセオリーを適用することは難しくなります。
ゼルダの伝説3Dシリーズで昨今のオープンワールド型に初挑戦したのが『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』(2017) でした。開発当初はプレイヤーの行動を誘導しないで自由に探索してもらうためにBGMを減らしたものの、同じ場所にいると音に変化がなくなってしまったり、どこに行っても同じような雰囲気で名所の特別感が薄いという問題が発生しました。そこで導入したのが「環境BGM」と「スポットBGM」の2種類のBGMです [岩泉 2017]。
「環境BGM」は探索中に聞こえてくる風や雨、川や海の音といった環境音、虫や動物の鳴き声、敵の音などの効果音を邪魔しないアンビエント音楽に近いタイプの音楽です。あらかじめピアノのフレーズを用意しておき、再生するタイミングをずらしたりフレーズごとにランダムに再生することで、長時間再生され続ける場合のループ感を軽減するように工夫されています。
近年は各ステージが巨大化していたり、ゲーム自体のボリュームも増えて同じステージに留まっている時間も増えました。長時間同じ場所にいても飽きが来ないように昼夜や天候によるBGMのバリエーションを増やしたり、BGMにランダム性を持たせる工夫は今後ますます必要になりそうです。
「スポットBGM」は町や村で流れるような場所ごとの雰囲気をはっきり表す音楽です。環境BGMだけでは失われてしまう場所ごとに特有の雰囲気、名所を訪れた時の特別感を演出する役割があります。フィールドの探索中は自然の音や敵が近づく音など様々な音が聞こえてくる反面、プレイヤーの緊張を強いて集中力を多く必要とします。スポットBGMのように密度のある音楽が流れて緊張を強いる音が隠れることでプレイヤーに安心感を与えるという側面もあります。
3-4. オープンワールド型ゲームのBGM問題
この環境BGMとスポットBGMという仕組みを導入してもなお「どこも同じような雰囲気になってしまう問題」は完全には解決していないように思えます。これはオープンワールド型ゲームBGMの宿命とも言えるものです。
Sridharanらによる実験でクラシック音楽を聴いている最中の脳活動を測定したところ、楽章間で少しのあいだ無音状態になり曲が切り替わるタイミングで脳が大きく活動することが確認されました。ヒトが現実世界の出来事を音が大きく変化する場所で区切って整理・記憶している可能性が指摘されています。[Sridharan+ 2007]
従来のゲームならフィールドも細かくステージに分かれていて、序盤のフィールドはプレイヤーの行動を促す軽快なBGM、終盤のフィールドは重厚で勇ましいBGMという付け方ができます。このフィールド/ステージの切り替わりでBGMも明確に切り替わるメリハリが無意識のうちに記憶を整理させて印象を強めているとも考えられます。
ところが継ぎ目のない広大なフィールドが売りのオープンワールド型ゲームでは、極端な話ゲームを始めていきなりラスボス戦に向かうことも不可能ではなかったりします。例えば同じフィールドが序盤に通る道でもあり、またラスボス戦への道にもなるという事態が出てきます。そうなるとBGMを減らすか、どっちつかずの曖昧な雰囲気のBGMにするという消極的な選択肢が浮上します。同時にBGMの切り替わりも曖昧になるので記憶を区切り整理する脳活動も妨げられて、どこも同じような印象に感じられる問題を引き起こします。
他にも継ぎ目のないフィールドに対してBGMも滑らかに変化させるインタラクティブ・ミュージックの技術が裏目に出る場合もあります。状況が目まぐるしく変化する場合にはいちいち別のBGMを流すのではなく、1曲を滑らかに変化させていく技術が有効です。一方で継ぎ目なく漫然と音楽が流れ続けると、音楽がガラッと切り替わるタイミングで記憶を区切り整理する一連の脳活動も妨げられ、メリハリが失われて印象に残りづらくなるデメリットも存在します。
改めて『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』の例を考えてみます。サウンドトラックはCD5枚組(!)とビックリする量で、声優による声の吹き込みも付いて歴代ゼルダシリーズと比べて増加したムービー/カットシーン専用の曲もかなりの部分を占めています。フィールドBGMとは対照的にこちらは印象的な音楽が多く、シドと協力して戦う「神獣ヴァ・ルッタ戦」や「シーカータワー」起動BGMは個人的にも思い出深いお気に入りの曲です。
カットシーン以外の曲目を見てみます。スポットBGMの曲数は歴代ゼルダと比べて遜色ないようにも見えますが、この広大なフィールドに対してはどうしてもプレイ時間中に占めるスポットBGMの割合が低下します。そして通常フィールド曲が広大な場所で汎用されるため、従来なら専用曲が流れていたであろうハイラル平原、ハイリア湖、フィローネ樹海、ゲルドキャニオンといった平原、湖、樹海、渓谷まですべて同じ環境BGM「フィールド(昼/夜)」の割り当てとなっています。
汎用の環境BGM | フィールド(昼), フィールド(夜), フィールド(極寒), フィールド(灼熱), フィールド(酷暑) |
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固有の環境BGM | 時の神殿跡, 飛行訓練場, 北の廃坑, カラカラバザール, 迷いの森, …など |
汎用の祠まわりBGM | 廃墟, 洞窟, 高地, 溶岩地帯, 荒地, 水辺 |
スポットBGM | 馬宿, 大妖精の泉, カカリコ村, ハテノ村, ゾーラの里, リトの村, ゴロンシティ, ゲルドの街, コログの森, …など |
環境BGMの中にも「カラカラバザール」のように固有の場所で流れるタイプや、環境↔スポットの中間的なタイプで少し安心感のある祠周辺BGMもあり開発の苦労が伺えますが、他のフィールドBGMと同じアンビエントな音楽であるために曲がガラッと切り替わる=特別な場所を訪れた感覚の表現が難しいのが実情です。
この「ストーリー進行に自由度をもたせるため印象の強いBGMを減らす」ことと「印象の強いBGMを減らすといつも同じような雰囲気」というジレンマに、任天堂の世界的人気を誇る主力タイトル「ゼルダシリーズ」をもってしても完璧な答えが出ないという現状が問題の根深さを物語っています。もっともオープンワールド型のゲームが昨今のゲームエンジンを始めとした技術の発展によって出てきたように、オープンワールド型に適応したBGMの技術もこれから発展していくのではないかと思います。
BGMを減らす(無くす)とどうなる?
この『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』の開発者インタビューでもたびたび言及されていたのが、BGMを減らす(無くす)ことによる弊害です。グラフィックが進化して環境音・効果音も増え、現実世界のようにリアルになればBGMも無い方がリアルなのでは?という考えを抱きがちですが、ブレワイの開発スタッフがまさにこの問題に直面していました。
サウンド担当者が口を揃えて言うのは「ストイック」「サバイバルのよう」「ツラい」という言葉で、エンターテイメントであるはずのゲームが修行になってしまっていたことが伺えます。もちろんカラオケで盛り上がるような賑やかなボーカル曲がゲームBGMになれば意識が音楽ばかりに向き、ゲームプレイが二の次になるので一般には避けられます。ではBGMを減らせばゲームに没入できるかと言えばそうでもなく、緊張感をもたらすので次第に集中力が切れてしまいます。
振り返れば、音を無くすと急に不気味に感じたり緊張を感じさせる問題は、映画音楽でもサイレント〜トーキー時代に経験したことでした。BGMは単にグラフィックや環境音の不足を補い説明するために存在したのではなく、プレイヤーが安心して集中・没入できる環境を作り、またゲーム体験を色鮮やかに記憶してもらう演出の手段でもあったのです。
4. 映像と音楽のバランス
4-1. 近年の映画音楽の流行スタイル
こうしたアンビエント(環境)音楽に近い発想は映画音楽において存在感を増して来ていました。もともと映画では明暗のハッキリしない複雑で微妙な状況や心情を表現する機会が多く、オーケストラ楽器の音色や特殊奏法の組み合わせで雰囲気を表現するテクスチャー(Texture)というアイデアが多用されてきました。
2000年代以降、作曲家ハンス・ジマー(Hans Zimmer)はこの考えをさらに推し進めて、楽器の代わりに効果音的な音や音響効果を駆使してテクスチャーを作るスタイルを流行させました。また20世紀後半に生まれたスタイルで、短い音のパターンを反復・変化させるミニマル・ミュージックや、近年流行のエレクトロニック・ミュージックのスタイルも映画音楽に取り入れられるようになり、コンピューター上でオーディオループ(短い音楽パターンの素材)を繰り返しながら、映像に合わせて音楽を少しずつ展開させるタイプのBGMも増えました。
こうした流行の一方で、作曲家ジョン・ウィリアムズ(John Williams)による映画『スター・ウォーズ』の音楽に代表されるメロディー重視の印象的なBGMの割合は減ったと言えるかもしれません。もちろん音響系のループを駆使したミニマルBGMやテクスチャー重視の環境BGMにも独自の魅力があり、同時に演出のために必要不可欠な存在でもあります。
しかし近年サウンドトラックの売り上げが思わしくなかったり、そもそも発売されないケースが増えた要因の一部として、サントラ収録曲の大部分が最近流行りのスタイルの音響系ループBGMや環境BGMになってしまい、印象に残る曲の割合が一段と減る傾向も指摘されています。[田中 2013]
もっとも少し遡ればハリウッド映画においてもジョン・ウィリアムズという、ハンス・ジマーと相異なるスタイルの作曲家がいるようにハリウッド映画音楽のスタイルも一枚岩ではなく、今は新しい流行を試してみようとする動きが目立っている部分も大きいように思います。こうした最新のスタイルも演出の観点ではメリットばかりではなく、漫然と流行を取り入れるのではなく適材適所で使い分けを考えていくことが今後求められそうです。
4-2. 良いBGMとは? 映像音楽の作曲法
ハリウッド黄金期に活躍して現代の映画音楽の礎を築いたマックス・スタイナーですが、映画はコンサートのような音楽を披露する場とは違うので、あくまで映像のために音楽があるべきだと考えていました。しかし一方でこうした意見はよく誤解されていたようです。
「映像のための音楽」という言葉が独り歩きして誤解され「映像の邪魔にならないように、鳴っていると気付かれないような音楽がいい」と言われることに対して、スタイナーは「鳴っていることに気付かない音楽が一体何の役に立つのか?(それでは意味がない)」と返していました。コンサート用に作曲された聴くための音楽とは違うが、心で何かを感じられる音楽でなければならないというのが彼の考えでした。
マックス・スタイナーはライトモチーフと共にメロディーを積極的に活用しました。ただし特に意識を向けてもらいたい重要なセリフや効果音については聞き取りやすくなるよう、例えば低い声の男性のセリフにはバイオリンの高い音を…というように同じ周波数帯域の音が被らないよう注意して作曲していました [Wegele 2014]。これはヒトの聴覚におけるマスキング効果(Masking effect)を考慮したものです。
音楽に必要以上の注意を引きつける要素にはメロディーだけではなくリズムやハーモニーもあります。重要なセリフや効果音を前面に押し出して聞かせたいシーンでは、メロディーの派手な動きや音の多さを避ける方法だけでなく、速いテンポやシンコペーションなどの特徴的なリズム、和声(和音)や対位法による重厚な装飾を避ける選択肢もあります [Davis 2010]。
マスキング効果にはいくつかパターンがあり、似た高さ(周波数帯域)の音の混同、大きい音が小さい音を隠すことは日常的にも実感がありますが、ほかに突発的な音が直前や特に直後の音を隠す、低音が高音を隠す(高音は低音をさほど遮らない)パターンもあります。
ドラムや打楽器の短い突発的な音で効果音が隠れるケースがある一方、メロディーの長い音は意外と影響しません。また中~高音域にあるメロディーはそれより低い音にあまり影響せず、逆にベースやハーモニーの低音パート、バスドラムや大太鼓などはそれより高いあらゆる音に影響を与えるので音量に注意が必要です。
ヒトの脳には多少の聞こえない部分を自動的に補って、うまく会話や音声を聞き取れるようにするカクテルパーティー効果(Cocktail party effect)といったものもあります。邪魔しないようにという後ろ向きな発想よりは、作品のストーリーや心情の描写に深みを加える演出の1手段として活用していく姿勢が必要ではないでしょうか。
アンビエント/環境BGMには他の環境音や効果音、セリフを邪魔しないという便利な側面や、明暗のはっきりしない曖昧で複雑な雰囲気を表現できるという特徴があります。一方で音の変化が少ないため印象に残りづらくどの場面も似たような雰囲気になってしまったり、視聴者に緊張感をもたらすので集中力が続きづらいデメリットもあります。場面に応じて必要なタイプの音楽を使い分けることでBGMの面でもメリハリをつけることが重要です。